プリンセスに憧れた娘の長い髪、新聞記事に載ったヘアドネーション

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私の娘は私譲りの天然パーマです。生まれてから一度も切ったことのない髪の毛は一年生になる頃には、お尻を超えていました。可愛さあまりに伸ばし続け、切るタイミングがわからなくなっていましたが、新聞のヘアドネーション記事を読み切る決断をしました。せっかくなら私の娘も新聞記事に載せたいと思う様になりました。

娘の天然パーマ

生まれつきの天然パーマは癖毛とも異なり、猫っ毛で柔らかく髪が伸びてくるとクルクル具合も増し、雨の日には湿気を吸いぐるんぐるんでした。周りの大人からは「天然のクルクルで可愛いね」と言われていましたが、私の本音は「遺伝しないでほしかったな」でした。

天然パーマの葛藤

私も生まれつき父親譲りの天然パーマでした。小学生時代は髪の毛がコンプレックスでストレートパーマをあてていました。低学年の頃には髪を短く切り、できるだけパーマの部分が目立たない様にする程、天パが嫌いでした。学校では天然パーマをイジられ、とても嫌な記憶があります。私は小学生の頃、サラサラストレートに憧れていました。中学、高校時代は、ずっとストレートパーマをかけ、毎朝ヘアアイロンで髪を伸ばして登校していました。娘には、そういう思いをしてほしくないと思っていました。

プリンセスみたいで可愛い

可愛さあまりに伸ばし続けた髪は、肩を超えお尻を超えていました。だんだんと髪の重さで根本の方はストレートになり、美容室でパーマをかけたかのように綺麗なカールの髪になっていました。その頃、プリンセスが好きだった娘は自分の髪を「プリンセスみたい」と言う様になり気に入っていました。洋服もワンピースやフリフリスカートを着たがり、プリンセスになりきって遊ぶことが多くなりました。娘が自分の髪を好きになってくれとても嬉しかったです。次第に私の不安も無くなり、また髪を切れなくなってしまいました。

難関プールの授業

娘が小学校に入学すると、プールの授業が始まりました。学校からの手紙には自分で髪を拭き乾かせる様にすること。と書いてありました。娘の髪は長すぎてタオルで拭くくらいでは乾きません。まして小一の娘には、長すぎる髪をうまく拭くことができませんでした。家で練習しましたがお尻を超えている髪の毛を一人で拭くことに苦戦していました。七五三を撮ったら、5歳になったら、一年生になったら‥と節目節目で何度も思いましたが、決断ができずにいました。しかし、ようやくどうにかしなくては‥と思う様になりました。

新聞記事のヘアドネーション

プールの授業が始まる一ヶ月前、新聞のヘアドネーション記事に目が止まりました。病気や事故などで髪の毛を失った子どもたちに、寄付された髪の毛で医療用のウイッグを作り無償で提供する活動という内容でした。私は「これだ」と思いすぐ娘に話しました。「娘の髪の毛を病気で髪の毛がない子にプレゼントしたい」と伝えると、「すごい。やってみたい」と娘も快く承諾してくれました。ようやく私の中でスッキリと髪を切る決断ができました。

※ヘアドネーションは一般的に31cm以上の髪が望ましく、極端なダメージ毛は避ける必要があります。カラーやパーマは基本的に問題ありません。

欲が出てきてしまいました

六年間伸ばした髪を切ることが決まり、美容室を予約しました。長い髪を記念に残そうと写真館も予約しました。娘は憧れのプリンセスのドレスの衣装を着てニコニコ笑顔で撮影に臨みました。こうなると私の欲も増し、もっと記念に残したい、他にないだろうかと考えました。そして、髪を切るキッカケをくれた新聞記事にも載せたいと思う様になりました。

娘のヘアドネーションが新聞記事に

早速、地元の新聞社へ連絡し私の想いを伝えると、快く記事へ載せていただく事になりました。そして新聞記者立ち会いの元、美容室でのカットが始まりました。娘は「髪の毛切ったら痛くないかな」と心配していましたが、痛くないことがわかると安心し、髪が切られる様子をじっと眺めていました。無事にカットを終えた娘も自分のボブヘアーを見て「可愛い」と言っていました。その頃には天然のクルクルも無くなり、ストレートのボブになっていました。六年間の伸びた髪は55cmも寄付用に切ることができました。娘の髪が誰かのために役立つんだなと思うと何だか嬉しくなりました。私たちの六年間の思い出の沢山詰まった長い髪。また新しく医療用ウイッグとして生まれ変わる姿を想像しながら、丁寧に梱包しました。

私たちの経験が誰かの役に立てましたら幸いです。

今日も幸せな日々を、なんくるないさ〜☆

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