私の父親が他界し一年が経ちました。悲しみも思い出に変わりつつある今日を過ごしています。父親の死が、ブログへ一歩踏みだすキッカケを与えてくれました。父は70歳を迎える一月前に亡くなりました。実家に帰省すると必ず、近況報告を兼ね仏壇に手を合わせています。父親のことを思い出すことが供養にもなると思っているからです。
自力で歩けることの重要性
父親は足腰を悪くしていました。1日の大半をベットの上で過ごし、部屋でテレビを見ているか眠っているかでした。私自身今は当たり前に歩けていますが、後何年自由に歩けるかかわかりません。30代後半にして、体力が衰えている実感さえあります。私の母も60歳を過ぎてから、膝が痛くて歩くのが億劫に感じるようです。身近な人の体験談を聞いていると、自力で歩けることは何より素晴らしいことだと感じることができました。自分で行きたいところに行き、自力で歩く。何気ない当たり前のことですが、当たり前はいつまでも続かないということを父が教えてくれました。単なる長生きではなく、健康寿命を伸ばすことの大切さを学びました。
人生の終わりを決めることで見えてきたもの
父親は何を思って天国に行ったのか。父親は何を楽しいと感じ何を幸せと感じていたのか。人生に後悔はなかったのだろうか、様々なことが脳裏をよぎります。しかし、実際に父親に聞くことはできません。健康寿命を伸ばすことはとても大切なことです。何歳まで生きたかではなく、何歳まで健康で生きられたかの方が重要だということに気がつきました。ベットの上でテレビを見ながら一日中過ごし、長生きすることは幸せなのだろうか。短い人生であったとしても、有意義に過ごせた事は幸せな人生だと思います。私は自分の人生について考えた結果、「健康寿命を延ばし、家族の思い出を残したい」と思うようになりました。そこで私の寿命を70歳と決めました。残り30年弱です。既に人生の折り返しを過ぎてしまっています。終わりを決めることで逆算し、今どのように生きれば自分の人生を有意義に過ごせるかが見えてきました。1日1日は短く、日々の積み重ねや習慣が私を作るのだと。その為に、私が天国に行くまでに何がしたいのか、今出来ることは何があるのか考えました。
私に何ができるのか
現在は子ども三人(乳児含む)の子育てをしています。今年からフルタイムで仕事復帰をしました。日々の生活に追われる私にとって、自分の人生を有意義に過ごすことなどできるのだろうか?仕事と育児に追われ、自分の人生について考える余裕なんてあるのだろうか?が本音でした。でも残り30年弱の人生、今が一番若い日だと思い行動する一歩を踏み出すことにしました。
やりたい事リスト100
まずは自分の人生でやりたいことリスト100を作ることにしました。しかし、やりたいこと100個なんて思い浮かびません。欲しいもの100個ならすぐに書き出せるでしょう。どれだけ物に支配されていたのか、物欲があったのか、本当に欲しいものは何なのか自問自答しました。買うことで満たされている私がいました。何かを買うことでストレスを発散し、買う為に働いている私がいました。でもこれからは、その生活を見直し限りある時間を子どもと過ごし、夫婦で過ごすことに決めました。夫婦でも話し合い、「経験にお金を使い思い出を残す」ことに決めました。また私自身、人生を有意義に生きていると実感できるように、ブログを書くことにしました。ブログの記事を書く中で、やりたいことリスト100が仕上がるように考えました。執筆し文字に書き出す事で、自分の頭の中と心の気持ちが整理されているように思えるからです。「1日1日を大切に生きた」と思える日が続くように朝活頑張ります。
一生懸命になれば、なんくるないさ〜☆
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