天国にいる父親が最後に教えてくれた人生で大切なこと

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私の父親が1年前に亡くなりました。70歳の誕生日を迎える一月前でした。その出来事が、私の人生を振り返るキッカケを作ってくれました。私は私の人生にそれなりに満足し、なんとなく生きていることに気づかされました。満足というよりかは自分の人生を受け入れて、これでいいやと思っていたのかもしれません。20代で就職し結婚、子どもにも恵まれ30代後半にして、「世間一般の幸せの形」を手にいれ満足していました。しかし身近な人の死を実際に経験すると、今まで思う事のなかった感情が芽生えてきました。

父親の人生とは

私の父親は糖尿病で人工透析を受けていました。長年勤めていた会社も定年前に体調を崩し、早期退職していました。二日に一回の透析通院しながら生きていました。実家は裕福ではなく、退職金や年金では生活が厳しかった為、時々警備員のアルバイトをしながら生活資金に充てていました。その頃は既に足腰が悪くなっていた為、杖を持って歩くこともしばしばありました。歩くことが億劫で外出もほとんどしなくなり、いつもベットで眠っていました。火曜日、木曜日、土曜日は朝から透析に通っていました。私は、「透析の間は眠っているのにどうして帰ってきてからも眠るんだろう」一日中眠っているんじゃないかな?と思うほどでした。実際に父親に聞いてみると、透析の間は痛くて眠れないと言っていました。透析した日は、疲れてしまうとも言っていました。

父親の唯一の楽しみ

私は遠方に嫁ぎ、なかなか会いに行くことができませんでした。私自身、仕事に育児に追われゆとりがない生活をしていました。しかしそんな中、私が孫を連れて帰省した時は、父親も自分の部屋から出てきてくれ起きていました。みんな同じ仏間で顔を合わせ過ごしました。私の母親も父親が「こんなに起きているの珍しいね」と毎回言っていました。私が帰省した際には、一緒に夕食を食べ孫たちがはしゃぐ姿を微笑んで見ている父でした。しかし、孫たちが帰ると1日の大半を部屋で過ごし、寝ているかテレビを観ているかだったそうです。部屋で一人、病院からの糖尿病患者用の弁当を食べ過ごす毎日だったそうです。

父親の闘病生活

50代で糖尿病になった父。人工透析を受けて10年程になります。定年前に体を崩し退職した父ですが、その後体調も回復し、自分で車を運転したり家族で出かけたりもしていました。退職後、数年はのんびりと第二の人生を謳歌していると思っていました。しかし、それから3年ほど経つと次第に足腰が悪くなり、出歩かなくなりました。私たちが誘っても「家にいる方がいい。歩くのは疲れるからいい。自分が行くと迷惑かけるからいい」と言うようになりました。

私達も初めはどこか心苦しく、早めに帰ってくるなど心配していましたが、だんだんとその生活に慣れ、休日は朝から晩まで誰も実家に帰らない日もありました。その時、父親は何を思っていたのだろうか。ふと考えることがあります。父親は人生を楽しんだのだろうかと。

後悔しない生き方

父親はどんな人生を歩んできたのか、後悔しない人生だったのだろうか。そう考えるようになり「後悔しない生き方」というベストセラー本を読みました。そこには1日1日を有意義に過ごすことの大切さが書かれていました。私自身父親の死を経験し、1日1日を大切に生きようと決めました。自分の人生で後悔のないように、やりたい事を考えることに決めました。しかしいざ、やりたい事を考えると10個も思い浮かびませんでした。いかに人生を何気なく生きていたのか、何の夢や目標を持たず、流れに身を任せ過ごしてきたことにも気づくことができました。

父親が教えてくれたこと

父親を見ていて、自力で歩けることの重要さが身に染みて実感しました。単に長生きするのではなく、健康に長生きすることの大切さを学びました。私は父親の死を経験し、自分自身に照らし合わせ人生について深く考えました。私自身が何気なく生きていて、夢や目標を持たず、今の生活に追われてしまっていた自分に気がつく事ができました。

私自身が死を目前にした時に何を思うのだろうか。「死」は誰にでもやってくる現実であって、その時が来たらしっかりと受け入れられるように人生を歩もうと決めました。その為に今、何が必要なのか考えよう。何に一歩踏み出せるのか考えよう。後悔しない人生の為に、やり残した事はないか、何を楽しみに生きたいのか、やりたいことは何なのか、たくさんの時間を使って考えることにしました。30代後半にして自分自身の人生を考えるキッカケをくれた父親に感謝しています。

人生目標を持っていれば、なんくるないさ〜☆

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