保育士として働く私は毎日子ども達に絵本の読み聞かせをしています。絵本に触れる機会が多い職業ですが、生活の流れとして絵本を活用していたことに反省しています。読み聞かせを通して、絵本作家さんの想いを汲み取れていただろうか?子ども達にしっかり届いていただろうか?自問自答の日々が続いています。
絵本と向き合うキッカケ
私の父親が一年前に他界しました。悲しみも思い出に変わりつつある今日を過ごしています。父親の死が、絵本と向き合うキッカケを与えてくれました。父は70歳を迎える一月前に亡くなりました。その時ふと、私の中での寿命が70歳くらいなのだろうと悟りました。残り30年弱です。既に人生の折り返しを過ぎてしまっています。終わりが見えてくることで逆算し、今どのように生きれば自分の人生を有意義に過ごせるかが見えてきました。1日1日は短く、日々の積み重ねや習慣が私を作るのだと。その為に、私が天国に行くまでに何がしたいのか、今出来ることは何があるのか考えました。
絵本「このあとどうしちゃおう」
父親の死後、ヨシタケシンスケさんの絵本「このあとどうしちゃおう」が絵本コーナーで目に止まりました。実際に午睡前の読み聞かせで読んでみました。内容は主人公のおじいちゃんが亡くなり、おじいちゃんが書いたであろう「天国でやりたいこと」などが書かれたノートを発見します。おじいちゃんは天国でやりたいことが沢山あるようです。主人公の男の子もノートを買い、書いてみることにします。しかし、死んだ後の事を考えるよりも今やりたいことがいっぱいある事に気がつきます。おじいちゃんが主人公の男の子に「今生きているうちにやりたい事がいっぱいある」ということに気づかせてくれる絵本でした。私は、主人公の男の子は今、人生で大切なことに気づく事ができて幸せだなと感じました。きっとおじいちゃんは自分の為のノートではなく、孫の男の子に向けたノートだったのかなと思い涙が出てきました。
自分の生きた証が誰かの為に
私も誰かのために、何か役立つ情報を残したいと思うようになりました。実体験を語り、自分の思いを伝えるだけではなく、読んだ人の価値観で想いを馳せ、それぞれの解釈で読んだ後の余韻に浸ってほしいと思うようになりました。当初は、自分の生きた証を残すために本を出版したいという自分中心の考え方でしたが、「誰かの為に」と発想の転換ができました。
「人の為の人生ではなく、自分の為の人生を生きよう。」そのことが、有意義な人生だと勘違いしていました。しかし、自分の経験を伝えることで誰かの役に立つこともあると思えるようになりました。誰かの為に文字を書く、伝わる為に絵を描く、受け取り手によって受け取り方は様々あっても良い。「自分の生きた証を後世に残したい」との思いからブログを始めた私にとって、衝撃的な展開に驚きました。私も、絵本に出てくるおじいちゃんの様に、自分のために書いていると思わせておいて孫のためになっているノートのようなブログを書いていきたいです。ブログに挑戦し、一歩踏みだし行動してみると思いもよらない私自身の方向転換ができました。
絵本作家の素晴らしさ
お陰様で私は、ヨシタケシンスケさんの絵本「このあとどうしちゃおう」から、絵本の素晴らしさを学ぶ事ができました。絵本は子ども向けにわかりやすく描かれていますが、読み聞かせをしている大人にも向けられた内容でした。絵本は、子どもにも読む大人にも両方に良い影響を与えられ、本当に素晴らしいと思います。私は保育士として働き、毎日絵本の読み聞かせをしています。年少さんも、年長さんも毎日絵本の読み聞かせがあります。私は毎日絵本に触れ、様々な絵本を読む機会の多い職業についています。リアルタイムに沢山の子ども立ちの生の反応を体験する事ができています。作家さんは何を伝えようとしたのかな?子供達の反応は予想通りかな?など、読み聞かせをしながら様々な事に想いを馳せています。このような職業に就けたことに感謝しています。
夢に向かってライティング力の向上を目指します
沢山の絵本に出会い、私自身も絵本作家になりたいと夢を持つ様になりました。その為に日々、ブログを更新しています。絵本を手にする機会は様々です。保育園や幼稚園、今は小学校の朝のホームルームでも保護者による絵本の読み聞かせがあります。絵本の重要性が再認識されているようでとても嬉しいです。私も読み手にとどまることなく、書き手になれるよう日々努力していきます。日々の習慣が私を作ると言い聞かせ、朝活に取り組んでいます。実際に家事育児に奮闘しながらの朝活は、難しい日もあります。しかし、習慣化してしまうと朝活をしない日の方が変だなと思えるようになったら良いなと思います。歯磨きせずには眠れないように。起きたら執筆が日常になる日まで頑張ります。
夢を追い続けていれば、なんくるないさ〜☆
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